『さみしい夜にはペンを持て』を読んで

読書録

【海の学校に通うタコのタコジローと、公園に出没するヤドカリのおじさんが出会い、物語は進む。学校に馴染めないタコジローは、家庭でも親に気を遣われ、自分が自分らしく在れる場所を失っている。そんなタコジローにヤドカリのおじさんは日記を書くようにすすめる。日記を書く事を通してタコジローは自分自身の内面と向き合っていく。】

・どうして日記を書くべきなのか?
・なにが日記を書くことで得られるのか?
・どうやって日記を書けばいいのか?

ヤドカリのおじさんがタコジローに語りかけながら、読者に“書くこと”を丁寧に教えてくれる。

たとえ初対面の知らないおじさんであれ、悩みを打ち明けるだけで少しスッキリするのは、話が通じたことよりも、自分の中にモヤモヤと浮かぶそれを言葉にできたことによるものだ。

“みんなと一緒にいると自分じゃいられなくなる”

大人になるにつれて感じる孤独感は、誰もいなくて寂しいのではなく、誰にも理解されなくて寂しいという本当の自分を見失うことにある。

自分の中にある複雑なダンジョンは誰にも解くことはできない。だから日記を書き、自己と対話を重ねて、少しずつ冒険していく。

言葉を使い、頭の中に浮かぶ”思い”に形を与える。思うだけでは適切なフレームを選ぶことはできない。時間をかけて、考えて、ゆっくりと言葉を選んでいい。

誰にも言えないことを日記に書くと、そこにもう1人の自分が生まれる。自分しか知らない自分自身、”彼”がそこにいる。分かってもらおうとする彼がいて、分かろうとする私がいて、伝えたい彼がいて、知りたいと思う私がいる。

語り手となった彼の「分かってもらおうとする努力」と、読み手となった私の「分かろうとする努力」の2つが重なって、分かり合うことができる。自然と歩み寄って、分かり合える誰かを親友と呼ぶならば、唯一の親友もまた彼であり、私なのである。

日記を道標にして、新しい世界を目指そう。遠くのどこかではなく、自分の中の深い深い場所へ向かって。

ダンジョンの奥には答えを知っている”彼”がきっと待っている。

コメント