『もうそろそろ、人に未来を聞くのはやめよう。そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けていこう。未来は目指し、創るものだ。(シン・ニホンより)』
この国はどこへ向かうべきか、そのための指針が書かれた本。書かれた時期は2019年の秋頃。当時からちらほらとYoutubeなどでタイトルや要約を耳にしていたこの本を、たまたま図書館で借りた。偶然か、必然か。読むべき本は、読むべきタイミングで巡り会うのかもしれない。
タイトルはやはり「シン・ゴジラ」から発想を得たようだ。だとすれば、個人はおろか、国としても対処するには有り余る大きな問題や課題について、途方に暮れた私たちが生きるこの現実は、あの物語の続きのような気もしてくる。
就職してお金が使えるようになって、学生時代に比べて本にかける金額が相対的に上がった。怖いもの知らずで”それっぽい”難しそうな本を手に取って、飾るように本棚に置いた。当時、お飾りだったジャンルが、ようやく格好つけるためではなく、欲する知識として読める様になってきた。たくさんの本が読みたい。難しい本も読んでいきたい。この感想文はそのための助走だ。
現在は2024年。問題提起としてこの本が書かれた当時から5年以上経過している。現実問題は深刻に拡大しているように直感的に感じる。
AI、社会、教育、労働、産業、人材。
多岐にわたるテーマを横断しながら、明るい未来に向かって導くような文章に、「で、君はどうするの?」と問われているように思えてくる。
リハビリテーションという仕事上、私にその身を任せてくれる方々の生活が、より良くなるようにと働いている。そういう人達や取り巻く環境に対して、私にはいったい何ができるのだろうか、これから来る未来に対して何を準備すべきなのだろうかと探りながら読んだ。
AI×データ時代では『指数関数的な思考』が重要であると冒頭にある。これは『ファクトフルネス』でいう直線本能に対抗するための手段でもある。変化は直線的ではなく、気付けば加速的に急激な変化を迎える。自然界でも多くの変化は指数関数的で、この見方を知らないと自然現象と上手に付き合っていくことはできない。人の感覚の受容も例外ではない。何か良いものを食べた分だけ健康になるわけじゃないし、運動の成果は右肩上がりなわけがない。要素還元的な人間機械論から脱したい。
すべての産業のデータ化が起こると言われている。医療も例外ではないが、理学療法士は少し特殊な立ち位置にあると思う。個々の確立した技術をもって人の身体に触れる。ヒューマンタッチな仕事の付加価値は間違いなく高まるし、人の健康に対する意識、というより自分の意志で自由に動きたいという欲望は命そのものであるからだ。産業全体が「系」のパフォーマンスを見ながら、「系」そのものをチューニングする業務が中心となるというが、それを臨床に照らし合わせると、やはり運動システムを「系」として見れるようになる必要性を感じるし、そこに次のイノベーションがあると信じる。テクノロジーはどの時代も才能を平等にする。個々の優れた技術を理学療法の技術へと還元できるだろうか。臨床業務はセラピストという人間を介する。臨床に向き合う時間、患者の身体に触れている時間が未来の財産となることに気づいているだろうか。高い身体能力も、高い健康意識もない、目の前の加齢現象に向き合う私たちの手は可能性を握っている。限られた時間と場所で培った技術は嘘をつかない。経験も信頼も金では買えない。医者やAIにもできないことは何だ?
地域に身体のメンテナンスの場は必要になる。”身体は資本である”が、今以上に資本としての価値が高まるのは言うまでもない。未病や廃用症候群に対して人々は既に敏感だ。子供世代や未来のお荷物になりたくない。そんな本音をよく聞く。医療システムや財源、患者層、情報の拡散、医療技術の進歩、どれをとっても今後、「患者」は地域に溢れてくる。受け皿として理学療法士ができることを考える。
半ば妄想であるが、私はNPO(総合型地域スポーツクラブ)での活動を掛け合わせることで、地域で大きな役割を見出せる気がしている。たまたま継続して取り組んできたことだが、生活者として関わるほど、そのニーズを感じる。この本にも書かれているが、今後3つの才能の解放が重要である。それは「若者」、「女性」、「シルバー」だ。子供から高齢者まで全世代に向けた講座を開講している我がクラブの参加層でもある。理学療法士として地域に関わる視点として、「運動×地域コミュニティ」はずっと頭の根底にはあって、地域講座を担ってきた。そこまではよくある話だ。どれだけ素晴らしい講師を呼んだり、講座を開いてもインパクトが小さいのは否めない。何かを教えたり、何かをやってもらう集まりではなくて、自分たちで新しい価値を創り出し、地域課題を解決することを楽しんでいきたい。クラブとして関われる3つの人材を活かせるコミュニティを目指したい。
この本が指摘するように、理数素養の欠如は私自身の課題でもあり、頭が痛い話だ。理数リテラシーや、ITリテラシーといった現代の「読み書きそろばん」という武器を持たない若者はそのままジャマおじと化す。とても恐ろしい話だ。ジャマおじにならないためには残りわずかの30代の数年を慎重に、そして大胆に過ごしたいと思う。人生100年だとして、まだ半世紀以上残っている。諦めて誰かに任せるには、さすがにまだ早すぎる。
この国の行末よりその先の”未来”に何が残せるかを考えろと言われた。そして未来とは夢と技術とデザインの掛け合わせ(未来=夢×技術×デザイン)と書いてある。
この方程式に従って、この極東から”未来”を創り発信する。
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