イズム 〜師匠編〜

エッセイ

今日日、師匠なんて単語を会話の中で使う人はいないが、とどのつまりメンターのことで、最近の迷える子羊を導く系の本には「メンターを持て!!」と堂々と書かれている。

技術職だから”メンター”というよりは”マスター”か、と思うが、やっぱり”師匠”の方がしっくりくる。そこには生き様も含まれるような気がする。仕事の内容だけじゃなくて、人としてこうなりたいと思える存在だ。

師は導きであり、道である。

誰にでも道に迷う時はある。そんな時に師は道を指し示してくれる。

この仕事だったらどんな環境でもやれるだろうと自信満々だった私ですら、心が全く燃えない時期があった。環境の影響というものは想像以上に大きい。臨床だけが唯一の生きている時間であった。

黙々と仕事や意義を自問自答しながら、その暗い時期に火が消えなかったのは、理学療法士として、臨床家として、人としてこうなりたいと明確に思える存在と出会えたからだ。

師匠からこの仕事の技術や専門性、そして価値を学んだが、それ以上に志や信念を持つ重要性を教わった。

もう誰にもこの旗は折らせない。

’病気にならない街づくり’を。

あの頃ぼんやりとしか言葉にできなかった夢が現実になってきたのは、偶然か必然か、師から受け継いだ種のおかげだ。

暗闇から抜け出すように、逃げ出すように選んだ道が師の道に交差する。

枯らさぬように、花開くように、その実が必要な人たちに届くように大切に育てよう。

数年ぶりの勉強会は臨床家である師のもとへ。

洗練され続けていく技術は、アートで、サイエンスで、ダイナミックで、そしてハンドメイドゆえの味(ノイズ)を意図的に残しつつ、あくまでも生活に落とし込むために逆算して社会的ニーズを満たすという隙のなさ。

改めて理学療法ってこんなにも門戸が広く、自由で独創的で良いのだと教えて頂きました。

過ぎていく時間と、指数関数的に増えていく社会的責任と、後輩を育てる楽しみを感じる毎日の中で、患者さんをもっと良くするために自ら学ぶという意志はいつの間にか薄れてしまっていたようで、、、

初心を取り戻しました。

あのケースにはこうすれば、、、

てことはこうすればもっと、、、

そうだ臨床って楽しい! 

勉強会の裏テーマは付加価値。つまりそれは患者や医者、外国人に対してあなたには何が出来るのかという問いかけに答えられるかということで、これからの時代は常に意識していかなくてはと思う次第です。

私の周りの偉大な先輩方は「日本の理学療法」を考えているようです。

となると後輩としてはさらに開拓し、先輩方を超えていくことこそが恩返しであると。

やる事は山積みですがコツコツやるしかないです。

臨床も研究も教育も。もちろん仕事も家庭も蔑ろにせず。

同世代の方一緒に頑張りましょう!

当時のSNS投稿から(2018/7/16)

師は導きであり、道である。

師から学んだことを検証していると、没頭しすぎて夜中の3時になったことがある。

この仕事にも没頭できるほど自由で、創造性に富んだ側面があることを教えてもらった。

『教え子達が業界を牽引していける人材として巣立っていけるように、新たなステージを示していきたい』

そう言っていた師は、今現在、海の向こうでその経験と技術を世界に伝えている。

言葉通り、’日本の理学療法’を考えて、新しい道を開拓している。

実のところ、師匠の師はF先生でもある。そうやってイズムは世代を超えて続いていく。

私も上手にバトンを受け取りたい。

またいつか師匠が拓く道に交わった時に、そこで恩返しできるように今日も一歩、明日もまた一歩、小さくても立ち止まらないように進み続けたい。

その背中に少しでも近づけるように。

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