イズム 〜臨床最前線編〜

エッセイ

実習でお世話になったK先生のことを少し話そう。

渡航先として九州へ渡った私を指導してくれたK先生は当時既に、県士会会長という肩書きもありながら、病院のリハビリテーション科をまとめ、休日には勉強会を開催し、そして何より患者さんに好かれ、寄り添うその姿に、思い描いていた理学療法士の背中を見た。

学生時代の実習経験は人間的な成長を促す側面がある。私は特に指導者に恵まれていたと思う。

そうか。そういうことか。

何がどうして大事な分岐点だったのかと考えてみて気づいたが、ある先生は臨床だけでなく患者が暮らす生活地域へとその目を向けていたし、K先生は療法士の未来を県士会を引っ張りながら考えていた。

『利他』

尊敬する先輩達はただただ息を吸って吐くことの如く、利他的な行動をとっている。

そして今なおそれを続けている。

他者の喜びを自分の事のように受け止めている。他者のために自分の人生をかけている。

そりゃ追いかけても追いかけても、その背中が遠くなるわけだ。

負けていられない。

一歩でも近づくために今日も真剣に仕事に取り組もう。

限られた自分にできることを一生懸命やってみよう。

しびれた。

何を選んでも、何も選ばなくても、先行き不透明なこの時代に、臨床最前線で戦う恩師の一報に心が震えた。

私もここから一歩も引く気は無い。同じように20年後も30年後も最前線でヒリヒリした日々を送りたい。それを叶える方法は実にシンプルで、やめなければいいだけの話。でもそれが其々に難しい。いくつになっても心を燃やせる人間でありたい。

技術者としてもっともっと腕を磨きたい。

キリの無い悩みや不安も乗り越えた先に成長した自分がいると思えるなら簡単には手放せない。

そうやって自分自身と一生ケンカしていくと腹を決めた時から道筋は鮮明だ。周囲のアドバイスもポジショントークも関係ない。聞き手次第でただの雑音となる。勝つのも自分。負けるのも自分。負けてなるものか。

人生100年時代だろうが、たった1度の人生に変わりはない。好きにやる。歩幅を人に合わせなくても大丈夫。

当時のSNS投稿から(2021/10/16)

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