健康のために走る。
1秒でも速く走りたいとか、1kmでも遠くまで走りたいとか思わない。心拍数をただ上げて、健康のために体に負荷を与えることが目的だ。
運動効果は絶大だ。と言えてしまえるほど、便利な生活に甘やかされている。その上で「人をダメにする」と謳われる椅子やらクッションが発明されるなんて、どれだけ人は怠惰を極めたいのだろうか。
仕事で「私の歩き方って変ですよね」とよく聞かれる。エネルギー効率の観点から考えたら変かもしれないけど、バランスの観点から考えたら変じゃないかもしれない。
生きてきた時間の分だけ共に過ごしてきた体が自然と選んだ歩き方を、今更どうして意識だけで改善できると思うのか。まるで今までの自分の不都合の積み重ねに蓋をするように。
歩くことや走ることは基本的に教わらない。生まれて自然とその人に合った移動能力が身に付くように、自然と生活に合った姿勢や身のこなし方が身についている。ならば体じゃなくて運動を、運動じゃなくて生活を見るべきではないか。
生活の向上。
「頑張らなくてもいいんですよ」と、優しく言いたいところだが、上向いていかないとただ下がっていく便利な世の中なのだ。
「身の丈にあった生活」はレベルの高い生活目標で、お金をかけなくても健康的な生活は手に入るのにそれがどうやら難しいらしい。
『生活を焦るなよ。でも止まるなよ。』
いつもの周回コースを走り終えたように年を越した自分に言い聞かせる。
静かで、充実していて、どこか物足りないような。
少しの飽きと、期待と、疲労と、逃避が混ざっているような。
走り終えたと思ったら、次のスタートラインに立っている。
年始の向けて、やり残した作業に取り掛かる。
体を動かし、頭を動かす。
息子もめんどくせーと言いながら宿題に取り組んでいる。
便利な世の中を生きることは面倒なことなのだ。
加速も減速も自由自在すぎて一定のスピードを保つことが難しい。
無駄なことを丁寧にやることに何だか生きるヒントがあるような気がする。
とりとめのないこの文章をAIに添削してもらうと、丁寧なアドバイスをくれた。
私は早速、それを無視した。
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