ビッグヒストリー

エッセイ

遥か彼方の宇宙や歴史に想いを馳せることで、身の回りの世界が小さく感じることはよくあることだ。

138億年というビッグヒストリーにおいて、45億年前に太陽と地球が誕生し、40億年前に海ができ、38億年前に生命が誕生した。生命は自然選択に基づく「進化論」の世界で、繁栄と絶滅を繰り返し、”排除という選択”の網目を抜けた種が生き残っていった。そしてさらに年を重ね、5億年前にカンブリア爆発が起こり、4億年前に四肢動物が陸上の進出に成功した。人類の運動に携わる仕事をしている者としては、それまで水中で生きていた生命が大地に肢を接地させ、重力を感じながらその姿勢を制御し、体の重みを支え、一歩を踏み出したその瞬間を想像するだけで、まるで生命のバトンパスに参加できているような気になって嬉しくなる。途方も無い年月でようやく獲得した運動の制御システムを前にすると、どんなセラピストの「魔法」も「神の手」もちっぽけなものに見える。たった一人の人間がどうこうできるほど簡単であるはずがないと思いながら、それでもこの手で何かが変わる自然現象に触れているのは確かだ。対象者が自由に動けるようにとアプローチすることは、生命そのものを探究することに近しい行為であると思いたい。

生命の進化にとって、大きなターニングポイントである大量絶滅は5回あったといわれている。6600万年前の白亜紀で起きた大量絶滅によって恐竜が絶滅し、環境の変化に適応する能力の高い哺乳類が台頭した。5500万年前に霊長類が進化し、700万年前に類人猿からヒト科と呼ばれる私たちの祖先が分岐し、400万年前に直立二足歩行を始めた。ビッグバンから数えたら、歩行の獲得でさえごく最近の出来事だ。セラピストの都合で「歩行から考える」ことがいかに危ういかよくわかる。

200万年前になるとヒトは「ホモ·エレクトゥス(直立する人)」となった。完全な直立二足歩行を獲得し、それによって脳が発達する。あれこれ頭を使って考えるためには身体と運動が重要だと説明するのに、これ以上の理由はないだろう。150万年前に集団学習を獲得すると、人類の進化は加速する。一人の発明には限界がある。しかし集まることで既存の技術を向上、革新し、生物学的進化よりも早い速度で複雑なものを作り出せるようになった。次世代へと情報を積み重ね、知識と技術を継承し、ヒトは「進化論」から抜け出した。

そしてヒトはやがて人間へと進化し、都市が誕生し、文明が始まる。そして文明の発展とともに学問も進展する。天文学、数学、物理学、医学、哲学、情報科学…。5千年以上にわたり、知識の探究とその社会への応用は脈々と継がれていく。

生命はそもそも多様だ。姿形を変えながら続いている。

人間にとって何かを学び伝えていくことは、生存戦略の一つである。一つ学び、一つ行動することでそのゲームに参加できる。人に生まれたのであれば、文字が読めるのであれば、動かせる身体があるのであれば、関わる人がいるのであれば、やらない手はない。

36年前に私が生まれた。生まれてきたことに理由はない。この仕事を選んだことに理由はない。10年後に答え合わせをすることに理由はない。一瞬にも満たないような時間の中で、一生を謳歌したい。

人生100年。短いのか、長いのか。

5年程前に子供達が生まれた。小さいその身体にエネルギーを満タンに詰め込んで、駆け抜けるように、飛び跳ねるように日々を過ごす。「おはよう」を合図に、「おやすみ」まで規則正しく騒がしい。

遺伝子的な面影よりも、「好き」に熱中する姿に「我が子らしさ」を感じる。親の背中を見て育つならば、親子であっても「gene(ジーン)」よりも、「meme(ミーム)」による影響が大きいのではないか。ルックバック。親の背中よりも、ひとりの人間としての歩みを見せた方がもっと面白いんじゃないか。親としての振る舞いを振り返っても大したことは何もしていない。

息子と一緒に仮面ライダーにハマった。掃除機をかける妻を横目に、日曜日の始まりをスタンバイする。予告やアツい展開に顔を合わせる。お前わかってんな。

私が昔使っていたスーパーファミコンを実家から引っ張り出してきた。好きなゲームが異なる。俺はこれが好きなんだよと力説される。わからんもんだな。

一緒に仮面ライダーの映画を観ようと息子を誘い、一緒にスーファミやろうと息子に誘われる。138億歳の「何か」から見たら、友達に見えるかもな。

geneとmeme。

アイデア、習慣、信念、技術。文化的な情報は物理的な形を持たず、人々の心や社会へ伝播する。

「好き」というmemeの種は、誰かに与えられるものではない。選択肢はどんどん増えていく。

始まりは 炎や
棒切れではなく
音楽だった

星野源「Pop Virus」(作詞:星野源)

最初は好奇心かもしれない、はたまた模倣かもしれない。言葉に乗せて、笑いに乗せて、音楽に乗せて、電波に乗せて。そうやって種は遠くへ飛んでいく。ウイルスのように次の誰かへ、拡散していく。

たかだか数十年先に生まれた私が、息子の進路を邪魔することのないように。無意識に呪いをかけぬように。

はたらく車、恐竜、お絵かき、レゴ。

その進路の先で、新しい世界に連れて行ってくれるのはいつだって子供だ。

先日、巨大恐竜展へ行った。

また一つ新しい名前を覚えた。

『パタゴティタン·マヨルム』

通称、パタゴニアの巨人。全長約37メートル。体重約57トン。竜脚類ティタノサウルス類で史上最大級の種といわれている。かつて地球に、確かに存在した生命。

動物は筋によって骨を動かし、運動によって自己を表出することができる。骨となり、ある意味で本質的な状態で動かず鎮座し、君は何を想う。

パネルにある「巨人の歩行」の説明を読む。その長い足で遠く離れた場所まで移動することができるらしい。どれ、見せてごらん。私の都合で、私が学んだ知識で深く理解させて欲しい。一歩が大きすぎて捉えきれないかもしれない。粗末な歩行分析で申し訳ない。まだまだ分からないことだらけなんだ。

その展示はエピローグで締められていた。

地質や化石の研究によって、過去数億年の間に多くの生物が絶滅と繁栄を繰り返してきたことがわかりました。しかし、有史以来の人間による乱獲や環境破壊によって、それ以前とは比べ物にならない速さで野生動物が絶滅に追いやられていることもまた明らかになってきました。

古生物学によって過去から得られた知識を未来予測のための科学として活用し、恐竜の研究が、人類だけでなく多くの生物の発展に役立つことを願っています。

巨大恐竜展2024 エピローグより

私たちはこれからも巨人の肩の上に立つ。

そして知性を船に、生命と泳ぐ。

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