一期一会

エッセイ

「一期一会です。」

リハビリを担当している小学生の姿勢をチェックして、背骨がまっすぐに伸びているかを確認していると、その彼女が淡々と答えた。

アイドリングもクッションもない間で、大人の質問に的確に応答してくれる。しっかりした小学生を目の前にして、逆に年末年始で何かが緩んだままでいた私の非を指摘されたようでたじろいだ。

冬休みの宿題は書き初めだったと言うので、今時の小学生は何をお題にして書いたのか気になり、彼女に聞いてみたのだった。

子供騙しも、大人扱いも通じないコミュニケーションの中では、言葉の正しさが際立つ。

「一期一会…」

聞いておきながら、考えてしまった。

一生に一度の機会。

たしかに子供の頃によく見かけた定番の四字熟語だ。書き初めやら、卒業文集やらで使い古したような雰囲気がある。しかし、よくよく考えると、歳をとる程に重みが増す言葉だと思った。

最近、読んだ本に「その年齢に応じた、必ず達成したいことを考えておきなさい」と書いてあった。要は後悔なく生きれるように、夢や目標を考えなさいというアレだ。

そういうことは言われなくても年がら年中考えているタイプなので、ガラケーにもスマホにも、常にメモしてきた。だが、その本に書いてある「早めに経験することで得た記憶の蓄積が、次の行動に影響する効果やメリットが想像以上にある」という部分が面白いと思った。「記憶の配当効果」らしい。

難しく考えずに、まずは30代、40代、50代で一つずつ書くといいとあったので、素直に従ってみる。

30代の残り数年でやりたいことを考える。成し遂げたい結果や積み上げたい実績ではなく、得たい経験に書き換える。

逃したら死ぬ程後悔することは何だろう。

40代、50代でやりたいことは結局まだわからない。「オーセンティック」であることを何となく次の人生の目標にしていたが、じゃあ40代以降でしかできないこと、やりたい経験を具体的に考えると、まだ可視化しなくていいような気がした。だって30代の配当に期待をしたいから。

ピントを意図的にずらすと、未来がボヤける代わりに、残り数年で終わる時間の解像度が上がった。

35歳から45歳の10年間で、やれることはとことんやってみようと決めている。その折り返し地点に旗を立てた。

数年のうちに経験したい事に書き換えると、それは実力や実績なんて関係なく、動き出せば誰でも達成できることの羅列であった。

一生に一度の機会。

たった一度の人生。

それは経験の合計値。

そして生活の積分値。

一時停止していた時間が再び流れ出す。

小学生の時に宿題で知る「一期一会」と、大人になって小学生から聞く「一期一会」では言葉の重みが違う。

あぁ、これも「記憶の配当効果」か。

年々早くなる時間感覚と何か関係があるような気がした。

折り返すポイントを遅らせるために、一刻も早く取りかかろうと思った。

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