何か、日本一を目指そう

ある日の帰り道、同僚達から急にそんな話を振られた。

リハビリテーション室で最も古株である私は、臨床業務に集中できる土壌を耕してきた。私が入職した頃は随分と自然農法な雰囲気だったが、今では生産性も品質も保証されたファームになったと自負する。生産者がのびのびと本来の仕事に集中できることは、消費者に還元される点においてもプラスになる。

そんな作物のひとつひとつを丁寧に道の駅に卸すような農場で、職員達が、「俺たち、日本一目指すべ」なんて急に言うものだから、内心は鳩が豆鉄砲を食ったように丸くなっていた。

日本一を目指す。

何か具体的な目標というよりは、まずは気概を持つということではあるが、考えると難しい。そもそも何かで一番をとったことがあるかと思い返しても、小学生時代の徒競走くらいまで遡らないと何もない気がする。

日本一を目指す。

ぱっと思いつく限りでは、臨床件数だろうか。ひとりの理学療法士が理学療法を実施できる時間は法律で定められているが、その範疇最大限の仕事量であったことは少なくない。30年後に同じペースで働くイメージがわかないから、「今日も日本一働いたな」なんてしみじみ思うわけだ。

毎日、「根拠のない自信」を、「根拠のある自信」へと、なんとか一生懸命にひっくり返している。それはずっと続いていく気がする。オセロみたいに角が取れたらいいが、四隅を決めるにはまだ狭いとも思っている。

臨床家として根拠のない自信を持つことは大切だが、中堅を過ぎる頃にそれだけじゃどうしようもない事をたくさん経験する。

そうやって着実に毎日頑張っていると、ある日患者さんが、また次の患者さんを連れてきてくれることがある。私たちをめがけてやってきてくれる。理学療法士冥利に尽きる。

そんな「数字では測れない根拠」と「日本一」を繋げようと考えたことがなかった。

意外にも難しい命題をもらったな。患者のためにとか、技術を磨くために、であればいくらでも言語化できそうだ。そしてそれを達成するための目標を行動レベルまで落とし込むこともやっている。

そうではなくて「日本で一番」だもんな。

ひとまず現時点での答えは、「日本で一番、運動の記述が上手にできる理学療法士」を目指そうと思う。

ヒトの進化には、手足の発達のみならず、言語能力の発達も大きく寄与した。

単純な運動から複合運動へ、さらに複雑な運動へ。

獲得してきた運動の自由度によって身体を使った表現は多様化し、身体制御から言語制御へと制御様式も多様化した。

言語は武器だ。

だからありとあらゆる人と、ありとあらゆる言語で運動を語れるようになりたい。

易しい記述では深いコミュニケーションは難しいし、高度な記述ではそもそも伝わらない。

机上の理論の中だけでなく、閉ざされた現場の中だけでなく、理学療法士やセラピストの中だけでなく、そして現代の中だけでなく。開かれたコミュニケーションを目指そう。

時を経て、歴史の風に晒されても揺るがぬ確固たる信念を胸に、まずは担当患者にとって”日本一”の理学療法士であれたらいいな。

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