夏を跨ぐ

エッセイ

「真夏のピークが去った」と、毎年この時期になるとラジオから聴こえてくる。

一方で、今年はまだまだ暑い日が続くという天気予報を、患者さんから教えてもらいうんざりする。ただただ暑い日が続くと、それだけで体力も思考力も行動力も削り取られていく。

暑さにすっかり溶けてしまった生活をまた一から建て直す。

何してたんだっけ?というか、何がしたかったんだっけ?と、涼しかった季節を思い出そうにも、実感が伴わず、記憶のきっかけが掴めない。

その度に、自分を信じてやまない過去の文章を読み直す。まるで別人だな。

そうだ、地図を広げ、自分の行きたい島に向かって冒険へ出たのだった。

「冒険」

①危険の伴うことをあえてすること
②成功の見込みが少ないことを無理にすること

この冒険の成否は、危険な出来事でも、まだ見ぬ強大な敵でもなく、自分自身の日々の選択や些細な行動に大きく左右される。

そういう意味ではベリーイージーだけど、そういう意味だからベリーハードである。

鼻の穴を膨らませ、やりたかった事を片っ端から手をつけて、スタートを切った。

ここで命を燃やして戦ってやる。と、意気込んではみたものの、夏ドラよろしくそこにドラマティックな演出があるわけでもなく、振り返ると何にもない線をただ跨いだだけだったと気づく。

始めても始まらない。始めたのに始まらない。私の日常は驚くほどに凪である。なんと穏やかな日々なのだろう。広大な時の流れに流されていることだけが鮮明で、せめてジタバタもがいていないと目も当てられない。

ピカピカと輝く理想やアイデアは、頭の中にあるうちはただの荷物でしかない。なんなら容量を圧迫し、考える処理が重くなっている気がする。明るい計画も、緻密な戦略も口から出してみるとなんともこじんまりしていてガッカリする。こんなはずじゃないんだけどな。いや、こんなもんなのかもしれないな。

「やろうと思ってたのに」

息子がよく言う。私もよく思う。

“アウトプットまでが一連の流れなのだよ”

できてないことを教えることはできない。

センスもアイデアも、表出して磨かなくては錆びていく。

見えない線を跨ぐことは、他人からしたら意味不明な儀式に見えるかもしれない。それでも跨いだ者にしか分からないことがある。

イニシエーションを経て、生活が再び輪郭を成していく。

暑さに溶けてた頭が回転を始めた。空想と妄想をエネルギーにして。

これから新しい事がたくさん始まる。イージーだろうが、ハードだろうがドンと来い。海が穏やかなうちに進めるだけ進んでやる。

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