なんとなく保育園生活は親子にとっての日々をイメージするが、小学校生活はもう完全に子供のものであるという認識がある。
少しずつ手を離していく。
少しずつ手が離れていく。
数ヶ月前に青葉混じる桜を一緒に見た息子が、もうすぐ小学生になる。それが未だに信じがたいのはどの親も通る道だろう。
ヨーイドンの合図で6年前に一緒に”親子”がスタートしたはずなのに、息子の成長に比べたら父親としての成長は随分とのらくらに感じるものだ。
昨年度は保護者会役員を経験した。園のど真ん中から息子や娘の生活する環境を観察し、子供や先生、他の家庭と目線を合わせながら様々な事を学んだ。
いち保護者の困り事を紐解くと、この国の社会問題と根っこが絡み合っていることが判明し、とてもげんなりしたことを覚えている。コロナ禍の保護者の孤立問題も、少子高齢化における市の財源の分配問題も、どこに目を向けても課題は山ほどあって、声を大きくしたところで誰かに言って解決する事なんてまるでなかった。
生徒会長や政治家の約束に似た、煙のような望みは、集めたところで藁にもならない。
自分が起こした行動のみが、自分の世界を大きく変える。
一年経って保育園の何かが大きく変わったわけではないが、間違いなく父親として何かが少し変わったとは思う。
そして家族は逞しくなった。
今年度は息子との最後の保育園生活を、親のこの手で充実させてやればいいと力を注いだ。
春。習い事。
息子を体操教室に通わせてみたいと考えていた。
私自身も幼少期に体操教室に通っていた。鉄棒や器械体操の成果ではなく、馬跳びが跳べない年下の子のために低く屈んであげたことを褒められたことを思い出した。
人を思いやる行動は褒められるものだと知った。
息子が年長へと年度が変わったタイミングで体験に行き、そのまま通うこととなった。
緊張しいな息子が、本当に小学生になれるのかという不安な気持ちから、新しい環境に慣れる練習の場にもなればいいと思った。
幼児の社会経験。家でも保育園でもないサードプレイスは大切だ。
運動は好きだし、すぐに馴染むかと予想していたが、意外にも行きたくない日々が続いた。
父親としてとても悩んだ。
てっきり自分が好きなことは息子も興味を持つかと思っていたし、何より息子のことを理解していない気持ちになった。
行きたくないものを無理強いはできない。
けれど、何事もやってみないとわからない。
親の自己満足のためか、子供の成長のためか。
この境目はどこだ。
結局、ご褒美作戦で10回頑張ろうと約束し、半分を過ぎる頃には慣れていった。今では楽しそうに参加している。その場にしかいない友達もでき、その子が同じ小学校に行くと分かり親子で少し心強くなった。肩に力が入りやすい息子はしょっちゅう先生にリラックスをすすめられている。誰に似たんだか。誰よりも返事を大きく、誰よりも集合の号令で早く駆ける息子を見ると、やはり成果よりもやって良かったと思える実感が残る。
親と似ていないところや、親の提案を簡単には受け入れられないところに、子供の個性が宿ると気づいた。私にも妻にも似てないところこそ、息子の生まれ持った個性であり、大切に育むべき才能なのではないだろうか。
夏。飛行機。
少し早めの卒園旅行だと奮発した家族旅行。
行き先は北陸。恐竜博物館と重機メーカーのこまつの杜に決めた。どちらも言うまでもない、息子の好きな恐竜と重機を堪能するためだ。
はじめての空港、はじめての飛行機。
生まれて初めて空を飛ぶ。
緊張の面持ちで、地面と切り離されるその瞬間を迎える。
息子の口から飛び出た言葉は
「地球ってめっちゃ大きい!!」
親の不安なんて何のその。
子供のセンスオブワンダーは偉大だ。
地球儀を眺めながら、どうして地球は丸いのに道路は真っ直ぐなのかと聞かれたあの日のように、それを間近で感じながら、あの頃に拾えなかったものや、大人になりながら落としていったものをまた拾い集める。
先日も、散歩していると工事現場の痕跡を嗅いで、ランマーの匂いがすると言っていた。調べるにドドドド…と地面を固めるアレのようだ。知らなかった。
息子がいつも世界の歩き方を教えてくれる。
息子のおかげで常にどこかで工事が行われていることに気づく。はたらく車。はたらく人々。街は拡張している。
秋。創作。
息子の最近の得意な創作は、絵を描くこと、粘土でライダーを作ること、そしてレゴである。
小さな目で見た大きなものを、小さな手で大きく表現する。小さな身体を通して世界が大きいことを知る。
絵に関しては、夫婦で得意ではないため、しぶしぶ描かされることもある。なんか変な絵と罵られながら。レゴにいたっては作ってと頼まれなくなった。お父さんもお母さんも俺より下手だと言っている。
君が凄いのだよ。
こっそりと仕事先で息子の作品を見せたりして、褒めてもらったりする。それを伝えると彼は照れくさそうにする。
たくさんの人に褒められることはいつかきっと君の武器になる。
祖父母の家ですごろくをした時、私に勝てないと見込むと悔し泣きしてゲームを放棄したり。
マックでハッピーセットを食べている時、濡れた床で転倒した人を目撃して「なんか心臓がドキドキする…」と共感性を発揮したり。
“らしさ”を目の当たりにする日々だ。
手を離すほどに目には見えない内面の成長が著しい。子供の成長通知サービスなんてものがないからこそ探り探りだ。
見逃さぬように、せめて目だけは離さずにいたい。
冬。誕生日。
健やかに歳を重ねる。
もう、それだけで充分だ。
食べながら怒って。
遊びながら泣いて。
寝ながら笑って。
創りながら楽しんで。
どんな困難が待ち受けようとも家族がいるから大丈夫。
息子は今、離陸準備をしている。
あの飛行機のように。
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