文字を読む。文字を書く。

エッセイ

世間ではChatGPTが明るいが、私は英語を学ぶために、せっせと翻訳をしている。

文にして、1日5文いくかいかないかのスモールステップ。この本の翻訳はいつ終わるのか。機械学習を前にしたら、この過程も学びも無駄なものに映るのか。見通しは仄暗い。

 

余計なお世話だ。

It’s none of your business.

 

ん、なんか違う。

翻訳によって意味が通じても、その言葉を選んだ文脈(時に選ばなかった言葉)や心情が伝わらないと気持ち悪い。

翻訳されたら、”本当の意味”は伝わらない。

それはコミュニケーションが情報のやり取りのみならず、自己表現も担うからだろうか。

英会話がしたいだけではない。国際交流や外国文化の表面をなぞるだけでは物足りない。欲しいのは意思の疎通だ。

 

言葉の海に沈む”本当の意味”を崩れぬように掬い上げる。

英会話の先生と「英語は難しい」「日本語は難しい」と愚痴りながら読み解いていく。日本語で書かれた文章を理解し、辞書や翻訳機を使いながら言葉に寄り添い、英語に書き直す。字を使い、文を作りだす喜びを感じる。記号の羅列が意味を持ち、熱を持つなんて不思議で仕方ない。これも立派な創作で表現だ。

なるほど、だから義務教育で作者の気持ちを問われてたのかと、今になってその重要性に気づく。読解力の高め方は未だ明らかになっていないが、この作業に読解力が求められていることは明らかだ。

あの日、あの時、あの人は何を感じ、何を残そうとしたのか。

”本当の気持ち”が知りたい。

本当に文字はスゴいんです。

アレが使えると、時間と場所を超越できる。

私達の人生はどうしようもなくこの時代に閉じ込められてる。

だけど、文字を読む時だけはかつていた偉人達が私に向かって口を開いてくれる。

その一瞬この世界から抜け出せる。

文字になった思考はこの世に残って、ずっと未来の誰かを動かすことだってある。

そんなの…まるで、奇跡じゃないですか。

引用)魚豊,2021,「チ。ー地球の運動についてー」,第三集,小学館

私と海の向こうの先生、私達と作者、読み手と登場人物、時間と場所を超えて、たくさんの人と意思の疎通をしている。それが楽しい。

文字を読もう。文字を書こう。

ここで発信した事が、時を超えて今、あなたに届いた事が私は嬉しい。

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