青葉混じる桜

エッセイ

春。桜まつりがやっている。

すくすくと、緑色の成長過程を晒す桜を少しばかり気の毒に思う一方で、何が悪いのかと言わんばかりの悪気ない態度を好ましく思う。そうさ、中途半端で結構さ。

何事も予定通りに物事を進める事は難しい。何をしても修正と妥協の連続に疲弊するのが常で、仮完成という完成品を未完成のまま納品している。配布された保育園の献立表はこんなにも完璧なのに。

もうちょっとなんだけど…

もうちょっとって、なに?

その場しのぎで逃避した先は行き止まりである事が多い。終わりのない”もうちょっと”から”もうちょっと”で抜け出したい。

30代半ばとなり、言語化と行動化が大きな武器であることに気づき始めた。

思うに、行動力とは本来、誰もが元々持っているものではないだろうか。その数値は社会的役割が増えていくたびに足枷が着くように重く削られていく。

子供はやらなくてもいい事を怒られてでもやっているし、大人はやらなきゃいけない事を頭の中では分かっている。

歳を重ねると色々と言ってくれる人はいなくなると言うが、それは言う側の体力や気力によるところもあるのかもしれない。正しく発言するには行動力が必要で、行動力の伴う発言には説得力が増す。

春は心も体も軽くなる。

ふわふわと。

「言語化」と「行動化」

合わせるとただの有言実行なのかもしれない。それでも空想家が、その大きく飛んでいきそうになる頭を支え留め、地に足をつけて歩く手段としては有効な気がする。

この春に息子は年長になる。ひと足先に卒園する友達がいる。

寂しいね、と声をかけると、

「すぐに小学生になって追いかけるから大丈夫!」

と言った。

逞しいな。

そんな息子と少しだけ青い桜並木を駆け抜ける。

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