自分が教えてもらったことを次の人に教える。
恩師達に借りたイズムをそのまま傷つけないように、丁寧に貸し渡すように。
数年前の実習指導を振り返る。教えることで教わった、実りある経験であった。
この数週間、縁あって学生に実習指導した。学生の実習はまたすぐに続いていく中で、ひと段落した自分の心情を書くのは少々あざといと自覚するが(学生には許可を得た)、何より心が動き学びが多かった日々だったため書き留めたかった。
実習指導は、山登りのガイドに似ているな。とずっと考えていた。
登山初心者である学生の足腰の強さを見る。ガイドのバックアップは最小限になるべく自力で登って学んでもらうのか、それともガイドが積極的にリードしてあげてでも高い位置から見える景色を見させてあげるべきか。全く答えが見つからなかった。
私自身の学生時代の実習はとにかく理学療法の楽しさを教えてもらった。指導者に恵まれた実習だった。
楽しかったという感情以外、あまり覚えてないことが自分でも意外だった。学生時代の指導者は何でも知っているように思えた分、学生の質問に上手く答えられない自分にガッカリした。大人になっても、親になっても、指導者になっても悩みは尽きないものだ。
そもそも人間のことなんて正解がないから面白いのだと開き直った。大事なのは答えそのものじゃないだろう。
学生の何事にも興味を持って学ぶ姿勢に助けられた。気づけばあっという間に走り切っていた。学生がいたから得られた気づきに溢れた日々だった。
見学をお願いすると「もっと若ければ私も理学療法士を目指したかったな」とその価値を教えてくれる患者さんや、患部を動かしてみると「先生の触り方はもっとこうだよ」と私以上に熱心に教えてくれる患者さんや、上手くできない時に「誰にでも最初はあるから、先生にも最初はあったから」と言ってくれる患者さんなど、患者さんに私たちは育てられていることを改めて感じた。
最後に学生が挨拶をすると「人の体って面白いよね、実習楽しかった?」「良い仕事だから頑張って」と患者さんが学生に向けて投げた何気ない言葉が、学生に反射して私の胸に響いた。
学生の最後の治療の時が来た。実習の総決算だ。
問題点は歩行時のふらつきであった。
評価して、治療を考え、効果判定する。
初めて歩き出した我が子を見守るかのように治療後の患者さんの歩行を見守った。
1歩、2歩、3歩…
時間がゆっくりに感じた。定常歩行になっても実に滑らかに歩行が続く。
…そのままふらつくな!
今思えば祈りに近い。
ゆっくり方向を変えて帰ってくる。その歩行は今までで最も美しかった。治療後に「良い歩行だ」と思うことはあっても、それより先に「美しい」と感じたのは初めてだった。
学生の治療結果に心が震え、感動した。
その瞬間、学生が丁寧に積み重ねてきた時間は、私が見て見ぬ振りしてきた怠惰な習慣を打ち砕いた。
これは自分に対する絶望であり希望である。
学生であっても手を尽くせば患者は応える。
10年経験があろうが手を抜けばそこまで。
実に単純明快なことを学生は教えてくれた。
理学療法の奥深さを感じた。
学生は最後の治療後の歩行を観察しながら頷いていた。
臨床家なら分かる。患者を理解し、自分で組み立てた治療が思うような結果となって現れた時、私たちはそうやって確信する。
学生が頷くのを見ながら、私が実習で恩師から教わった大切なことを同じように伝えられた気がして嬉しかった。
学生の努力や苦労がプラスへとひっくり返った。そこで実習は終了し、臨床家が産まれた瞬間に立ち会ったようだった。
学生が理学療法士になるためには、まだまだ多くの課題や困難が待っているのは間違いない。
しかし、その手で患者の機能を良くできたという事実は誰にも否定することはできない。きっとこれから先の学生を支えてくれる大きな経験となるだろう。
今まではただ前を見て先輩達の背中を追いかけるだけで良かった。
「いつか先生に追いつきます」
そう言ってきた。
しかしこれからは私の背中を追いかけてくる後輩がいる。
「いつか先生の背中を追い抜きます」
言われるのは初めてだ。
しかも私の言葉より勢いがある。早々に追い抜かれるわけにはいかない。翌日の臨床も自然と背筋が伸びる。学生の一つの道標となれるように私も進み続けたい。
学生に教えた分だけ教わった。
上手く教えられなかったことから自分の未熟さを教わった。
原点の大切さと何よりこの仕事が持つ依然たる価値と魅力を再確認できた。
学生はこの仕事を目指して良かったと言った。私もこの仕事が好きだ。
自分の中でごちゃごちゃと考えてたくだらないことが吹っ飛んだ。
私は私に出来ることをやる。
見てくれている人がいる。
必要としてくれる人がいる。
この日々は私にとっても大きな財産となった。
学生に恵まれた実習であった。
大切なことを教えてくれた学生に心から感謝する。
当時のSNS投稿から (2021/5/30)
この週末には借り物ではない、私のイズムを渡すことができるだろうか。
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