手前味噌ラジオ

エッセイ

自作ラジオを始めた。

手前味噌だが、とても面白い。

芸人さんの楽屋や練習前の部室、患者のいないリハ室のような、目に見えない結界に守られているようで伸び伸びと喋れる。

いっちょ前にエピソードトークに使えそうな小言や、取るに足らない事件をスマホにメモするようになった。

登録者数10名。

ろくでもない人間のろくでもない話を聞いてくれる人が10名もいると思うと、とても気持ちが楽になることがわかった。

と同時に30分という貴重な時間を使って耳を傾けてくれることに心から感謝している。

ラジオを始めて気づいたことがある。

会話で音が被さることはとてもストレスということだ。

まずはじめに、自作したオープニングBGMによって自分の声が聴こえない時に強いストレスを感じた。

「リスナー」に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

次に、場が笑い声で盛り上がった時は落ち着くまで待って良いことに気づいた。ミラーニューロンの影響か、聴く側もつられて笑っているような気になり、余韻を無意識に味わっている。

人の話を最後まで聞く、それから応答する。

ごくごく単純なことだが、これができない人は多いし、自分でも改めたいと思った。

自分の言いたいことを拳銃に詰めながら、相手のターンが終わるのを今かと、反撃のチャンスを伺う人がいる。

人間のコミュニケーションはもっと時間をかけるものじゃないだろうか。

どれだけラジオで話そうと、どれだけ本を読もうと、どれだけ夜に走り出そうと、言いたいことは無限に湧き出てくることがわかった。

ラジオやYouTubeという話したいことを話せるホームグラウンドを手にしたせいだろうか、それとも誰かに見られてる場ではどうしても控えてしまう気持ちがより強調されているのだろうか。

回転率の高まった頭が熱を持つ。

ひとつ満足すると、すぐに次の不満足が顔を出す。

今はこの余韻に浸らせておくれ。

どうしようもなく暴れ回る自分の探究心と向上心に手を噛まれぬように、今日もエサを与える。

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