10年後に答え合わせをしよう。

エッセイ

心許なく垂れる紐を手に握る。どれほど長いのか、どこへ延びていくのか。確かめたくて繰り返した試行錯誤が折り目となって跡に残る。どこまで数えたっけ。今を見失わないように、また一つ結び目を作る。

不吉なおみくじを括るようなその仕草に、決意表明とは、何らかの決別を含むような気がしている。赤の他人に書かれた運勢も、何度書き直したか分からないTo doリストも当てにならない。そもそも、おみくじを覚えていた試しがない。ただ、結んだ後の行動が大切なのは間違いない。

自分自身との戦いに終わりはないような気がしているが、その中でもここから先の10年をどう過ごすかが大切な気がしている。というより今ここで、大切にすることにした。

どこを切り取っても、時間は平等に流れる。

                   

心を燃やし、最前線に立ち続ける臨床家になりたい。

自然に学び、真理を探究し続ける研究者になりたい。

人間丸出しの文章で、同類の魂を共振する文筆家になりたい。

  

そして人生100年時代を自由に生き抜きたい。

日々、学び続けていけば、幾重にも並ぶ壁を乗り越えることができるだろうか。

英語を学べば、触れる情報が拡がる。誰とでも自分自身の言葉で話したい。そこには同じ人間がただいるだけだ。

数学を学べば、触れる世界が拡がる。人工言語にネイティブはいない。理解することをあきらめない。

本を読めば、過去の偉人と対話ができる。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

言葉を残せば、未来の人に語りかけることができる。この時代に生きた証を残したい。

身体を鍛えれば、常にチャレンジすることができる。その火が消えることは決してない。

 

10年後には45歳になる。子供が巣立つまでに。親や恩師が元気でいるうちに。友と分かり合えるうちに。

大人になって誰も道を示してくれないのは、辿って来た道に答えがあるからかもしれない。”今日”は”明日”に繋がり、やがて”昨日”のことになる。

壮大に書こう。いつまで経っても成長しない、かといって潔くあきらめることもできない。そんな物覚えも物分かりも悪い自分に向けた対抗手段として。

10年後にどこへ辿り着くのか、ここで答え合わせをしよう。

同じ時代を生きる”仲間”と共に。

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