言葉を探して神経細胞は発火する

しばらく文章を書いていないとすっかり書き方を身体が忘れている。音感がない人間がドレミを気にしたことがないように、言葉を紡ぐことに”いろは”を意識したことはない。そもそも人間の能力に取り扱い説明書もチュートリアルもついていない。

酷暑によって各地で成績やパフォーマンスが下がっている報告を読むと、脳はつくづくただの臓器だし、熱に弱いコンピュータの演算処理装置のようにも思える。

付け焼き刃だな。

どんな理由であれ、一定時間放置したら再稼働には想像以上にコストがかかる。学習機能とセーブ機能は異なるものなのに、人間の臓器に対してもコスパやタイパを求めるのはいかがなものか。いや、その臓器のせいで求めさせられているのか。

過去の自分に囚われようが、未来の自分に幻を見ようが、簡単には自分のファイトスタイルを思い出すことはできなくて、拳を振り出して、足を使って、息を切らしながら一つずつフォームを確認していく。

別に誰に見せたいとか、あの人に届けたいとかじゃなくて、他人から評価される能力があるならば磨いておくべきだと思っている。来るかもしれない、曖昧で不確実な明日のために。自分の才能を信じているなんて随分と楽観的な一面があるもんだと、他人事のように自分のしていることを観察する。

そうか、観察日記だったのか。

息子が夏休みの宿題でせっせと水やりしているあの野菜のように、ほんの少しだけ手間をかける。少しでいいから。でも、毎日欠かさずに。

少しずつ臓器と手先が同期していく。言語の小宇宙へとダイブした探査機が言葉を見つけ、拾い上げる。その時点でまだ意味はない。解釈は後から付け足せばいい。

N=1の前向きコホート研究。

その過程の中で、自分の内面と対峙する。

こんなことを書くつもりまるで無かった。でも確かに自分の言葉だとも思う。

比喩に一貫性が無く、いかにもリハビリテーションの最中だ。それがかえって夏が落ち着く兆候と秋を待ち焦がれる様相を示唆する。

たがしかし、急いたところで暑い日はまだまだ続く。

熱を持った臓器を言葉の海に浮かべてみる。涼を求めて、ぷかぷかと揺蕩う。

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