秋は短し走れよおじ

夏と冬の短い隙間を洗い流すように雨が降る。わざわざ秋を謳歌するタイミングを見計らっているようだ。

先日も、保育園に通う娘の運動会だというのに雨だった。ただ、近隣の小学校の体育館で実施され安堵した。プログラムも年々と運動会らしくブラッシュアップされていくように感じる。コロナ禍前後で入園した兄妹なので、自粛や制限によって随分と縮小された行事をめいっぱい楽しんでいたのだと気づいた。

仕事柄、身体を痛めた保育士さんをよく担当する。どれだけ子供達がお世話になっているかを思うと頭が上がらない。必要とされ存在する全ての仕事に上下や優劣はない。ただ、エッセンシャルワーカーという聞こえて懐かしいカテゴリーで働く方々にはリスペクトが止まない。

日々の仕事の大変さは想像をたやすく超えていく。目の当たりにできない真実をせめて思いやれたらと、姿勢や動き、身体の使い方からその日常的負荷を読み取る。

心も身体も削りながら、それでも時代に合わせた形に合わせ、磨き、園も親子も成長していく。

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運動会では保護者競技として綱引きに参加した。ちなみに去年は年長保護者有志と保育園の先生達による対抗リレーがあったらしいが、誰か怪我をしないかと落ち着かない雰囲気だったと妻に聞いた。張り切った若いパパはコーナーを曲がりきれず、張り切った若い先生は派手に転んだらしい。残念ながら私は仕事で目撃者にはなれなかった。

社会人になって職場の大先輩達が子供の運動会で張り切って、まんまと怪我をする様を見てきた。ジーザス。可愛い我が子の前で大怪我だけは避けねばならない。ましてやこちとら理学療法士の父である。

足腰の強化をしておこう。夏の運動不足を精算するように再開したランニングに精が出る。

いつもの公園を通り抜けると、ふわりと金木犀が香った。

秋だ。

ラジオが「若者のすべて」から「金木犀の夜」に繋げる流れが秋の訪れを知らせる。

感傷的になって――

――金木犀の香りを辿る。

夜の帳に包まれ、五感が研ぎ澄まされる。

見上げれば月が綺麗で、耳をすませば鈴虫が鳴いている。

そして公園の中を走り抜けるとベンチの近くでおじさんの匂いがした。

……え、おじさん?金木犀わい?

もう一度、金木犀の香りを辿る。

金木犀、金木犀、きんm…おじ!!

ふわり。ミドルエイジが香る。間違いない。それは哀愁。そして哀臭。

そこにおじが居たことがわかる。
もうそこには居ないおじがいた。

秋のおじ。

秋の夜長に公園でたむろしていたのだろうか。居場所を探していたのだろうか。秋のおじはどこから来て、どこへ帰っていったのだろうか。

運動不足を憂う私とおじが交差した気がした。

なんか頑張ろうと思えた。

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当日の綱引きは、他クラスの屈強な父親達が鼻息を荒くしていた。縦、横、奥行き、どれかが分厚い父親達が集まった(注:ママもいる)。

それに比べて私のクラスの父親達は全体的に線が細くて眼鏡が多かった。なんか勝てる気がしないんですけど。

親しくさせてもらってるパパ友のひとりが保護者綱引きというビッグイベントに参加しないというので、まだ間に合いますよと誘ったら「四十肩なんです」と断られた。ジーザス。不参加は苦渋の決断だったことは想像に易い。貴方の気持ちはこの綱に繋がっています。必ず勝ちます。

体育館の上を運動靴が滑らないように手のひらで靴底を払った。バスケに勤しんだ学生時代を思い出す。バッシュの裏をはらって試合に臨んだ青春。試合の前はこんな緊張感だったな。

そして、園長の合図でおじ達による、おじ達のための、おじ達の綱引きがティップオフした(注:ママもいる)。

ゲームは予想通りにいかなかった。
私達のクラスが善戦し、綱が拮抗した。

綱を引き、綱に引かれる。

敗戦はおじの烙印を押される気がした。真ん中の線が人生の中間点に見えて、これを越えてしまったらもう戻れないと思った(これがホントのミドルエイジクライシスなんつって)。絶対に帰りたい。見えない何かに必死で抗った。

意地の張り合いならぬ、おじの張り合い。

仕事に汗水流し、家族のために、そして自分のために綱を引く。

おじの張り合い、か。

張り合っているのかな。讃えあっているような気にもなった。お互いなんでこんなに頑張っているのかわからなくなった。なにゆえに本気なのか。握る綱がおじとの繋がりに思えた。向こう岸のおじ達もただ一生懸命に生きてるだけだった。私達は立場が違うだけで、生まれた時期がほんの少しだけ違うだけで、本当は……本当は分かり合えるはず――

それでも――負けられない!

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気づいたら全戦全勝していた。

なぜ勝てたかはわからないし、勝った実感もなかった。そこには綱があるだけで、最初からおじとの勝負ではなかったのかもしれない(混乱)。

ただ手のひらに残る痛みが、今この瞬間を生きていることを実感させた。

いつか向こう側に行く日が来る。それでも今だけは、今だけはまだ――

その瞬間、腰に違和感が走った。

『背中が痛え……!?』

山王戦の桜木花道よろしく、脳内の彩子さんと問答が続く。

『選手生命にかかわるわよ?』

『もう子供の運動会で綱引きはできないってことすか?』

なんて頭の中でやりとりしたが、妻にバレたくないだけだった。え、全然痛くないけど?なにが?別にいたくねーし。
父のプライド、旦那のプライドはプレイスレス。
……って呆れてんじゃねーよ。

パパ友が私の勇姿を写真におさめてくれていた。娘の声援を受けながら綱を引く自分の姿は、笑ってしまうくらいに綱引きに不慣れで、笑ってしまうほど清々しかった。

パパ友に、四十肩なら早めに治したほうがいいっすよと伝えると、綺麗な苦笑いが返ってきた。そうっす。ちゃんと病院行った方がいいっす。

私は私で、どうやら天候のせいで緩んだ仙腸関節にストレスがかかったようだ。オーマイグッドネス。

嗚呼、おじよ。

秋は短し走れよおじ。

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