観葉植物はじめました

エッセイ

唐突に模様替えをしたくなる性分だ。ハードウェアもソフトウェアも。生活習慣も例外ではない。朝起きてから夜眠るまで、何をしようか。整理しては改善点を見つけ、更新する。

その周期的な気分転換によって心身の自己満足に至ると、「観葉植物を育てたい」という欲求にいつも辿り着く。

ここ数年、観葉植物を買っては枯らし、買っては枯らし、その果無い命を偲んだ(管理不足は自覚している)。

身近な緑はストレス軽減に効果的と聞いて始めるのだが、どうにもうまくいかない。

「自分の親だって運転免許を取れたんだから大丈夫」みたいな軽い気持ちがいけないのか、それとも我が家が生育環境として成り立たない程の毒素らしきものにまみれているのか、など考える。

誰にでもできる(と思い込んでいる)事ができないと、案外、簡単に落ち込む。精神衛生に良かれと思ったもので精神衛生に支障を来たす始末だ。

いくつになっても失敗の受け身が上手くとれない。

 

さて、数カ月前にまた観葉植物を買いたい欲がやってきた。

今回こそは正しく育てたい。何がいけなかったのかと、根掘り葉掘り店員さんに聞いた。

「購入時のカチカチの土のまま育てないでください」

「雨が降ったのかと思うくらい水をあげてください」

「ふわふわした柔らかい葉のタイプは初心者向きではありません」

なんと、やってはいけないことの全てをもれなくやっていた。

説明してくれる中で、店員さんが観葉植物に対して、”この子”と言っていた。

…“この子”。

これ以上信頼のおける言葉があるだろうか。その一言で”その子”を購入することに決めた。

 

帰り道にホームセンターで土を買い、ついでに木材で台を作った。設計図もなしに作ったせいで、ちょっとだけサイズが不細工な事すら愛着が湧く。

家の中に自然がある事で生活に潤いを感じる。

子供達には週末のお仕事として、水やりをお願いなんかしたりして。

 

しかし、ひと月が経つ頃に雲行きが怪しくなった。日に日に元気が弱まり、葉が落ちてゆく。

なぜだ。

慌てて買ってきた栄養剤を与えても元気がない。

また失敗したか、といよいよ諦めかけた時、あのお店に行くと水分チェッカーなるものが売っていた。

それで水をきっちりと与えるようになると、みるみると元気を取り戻した。

やっぱり水分不足だったか。

あれだけ言われたことが、言われた通りにできない。よくあるんだよな。

 

何かを育む事は予想以上に難しい。

“この子”を枯らさずに、また春を迎えることが今年の1つの目標である。

初心者らしく、背伸びせず、栄養剤と水分チェッカーという補助輪を頼りにしながら。

 

毎朝、毎晩、水を注し、葉の様子を見ている。気づけば随分と葉が増えた。枝葉が色鮮やかに伸びている。

「丁寧に見てくださいね」

そう言われている気がする。

今を生きよう、とか、何とかなるさ、とか言いがちな私に、定点観測の大切さを教えてくれる。

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