エッセイ

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繭の中で生まれる相対的不幸

『スマホ時代の哲学』からネガティブケイパビリティを知り、そこから趣味を持つことが有用な一手であると学んだ。趣味を通じて何かを育むことは、謎そのもの、または他者、あるいは内なる自分のような存在と対話することであった。そこで趣味について違う角度...
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秋は短し走れよおじ

夏と冬の短い隙間を洗い流すように雨が降る。わざわざ秋を謳歌するタイミングを見計らっているようだ。先日も、保育園に通う娘の運動会だというのに雨だった。ただ、近隣の小学校の体育館で実施され安堵した。プログラムも年々と運動会らしくブラッシュアップ...
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足は口よりも雄弁だ

臭い話ではないので、悪しからず。“人って足元に出るよね”という話を、同僚とよくする。靴(特に踵)に対して無頓着な人に限って、あっちが痛いこっちが痛いと訴える気がする(エビデンスはもちろんない)。簡易的なサンダルで院内や街中を闊歩している姿を...
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何か、日本一を目指そう

ある日の帰り道、同僚達から急にそんな話を振られた。リハビリテーション室で最も古株である私は、臨床業務に集中できる土壌を耕してきた。私が入職した頃は随分と自然農法な雰囲気だったが、今では生産性も品質も保証されたファームになったと自負する。生産...
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見えないそれを確かめたくて

最寄り駅の改札を抜けて階段を降りると、パステルグリーンのスクールバスがロータリーで折り返していた。見るだけで懐かしさが込み上げる。蒸し暑さはまだ残っていたが、それでも迷わずバス停を通り過ぎた。記憶の中の景色と街並みをすり合わせたくて、歩いて...
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保護者の眼差し

先日、夏祭り風保護者交流会を無事に終えた。甚平を着た子供達が、かき氷やラムネを堪能したり、ボール投げやゲームに参加して大いに楽しんだ。娘の保育園で行っている自主的な保護者活動、と言えば伝わるだろうか。保護者役員の経験をきっかけに、そのまま保...
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趣味という未解決問題

“趣味は何だっけ”問題は定期的に訪れる。5年に1回くらいの頻度だろうか。前々回くらいに「”趣味”という概念で考えてはダメ、”何をしているのが好きか”で考えればよし」と自分の中で結論を出した。そうして解決した事案かと思ったが、また最近ぼんやり...
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言葉を探して神経細胞は発火する

しばらく文章を書いていないとすっかり書き方を身体が忘れている。音感がない人間がドレミを気にしたことがないように、言葉を紡ぐことに”いろは”を意識したことはない。そもそも人間の能力に取り扱い説明書もチュートリアルもついていない。酷暑によって各...
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未来を手放す勇気

消化しきれない情報量と厳しい暑さに眩暈を覚える。スマートフォンを握りしめたままでいると、いつのまにかフィルターバブルに閉じ込められて心も体も息ができなくなる。例えば、投票に向けて情報を取りにいくと、途端にリコメンドが全て政治にまつわるものに...
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舞台袖から

2025年2月23日。私は舞台袖に立っていた。目まぐるしく入れ替わる演者を横目に、次の演目でかける曲と舞台を照らす照明の色を何度も何度も確認していた。持参したiPadと音出しアプリを「大舞台」で実践投入するのは初めてで、正しく音が始まるか、...