跳ねる蛙は、翼を夢見る

臨床経験も15年を超えると、自分のやりたいことができはじめる。

人数が増えた仲間に合わせて、職場環境や業務内容を見直した。

各PTにタブレットを導入し、DIYで作成した管理システムを活用する。情報管理や患者管理に活用する。でも、本当の目的はそこではない。

主たる目的は臨床教育のアップデート。

PT間で知見・経験を共有し、専門職としてさらに成長するためにAIを活用(ChatGPT、NotebookLM、Consensus)し始めた。

情報ツールの利便化は著しいスピードで変化していく。

遊ぶように使い慣らしていく。

これが10年前からあればなぁと思う一方で、10年前にあったら頼りっきりになりそうだなぁと思った(タイムリーに、若者のAIの頼りすぎは、アカデミックな自信喪失やバーンアウトに影響するという記事を読んだ)。

使うことに慣れはじめると、途端に魔法が解ける。

使ったから何かが劇的に変わるわけではないと気づく。

それは単なるツール。

それ以上でも、それ以下でもない。

目的と実践なき遊びは、やっぱりただの遊びで、気持ちが良いだけだった。

実りある活用がしたい。

今のAI広告に辟易してきた人は少なくないと思う。

最初は「便利ー」「すごいー」と驚いていたが、SNSや町の掲示板ですらAIが作った、毒にも薬にもならないイラストを使用して、目に余るようになった。

つまんない。

ネットではAI美女にコメントしてるおじさんが溢れ始めて目も当てられない(と言ってたら中国では、未成年のAI家族やAI恋人に対する規制が始まった)。

AIで個人の最適化が進み、ひと通り完了すると、他者の視点がとても重要であるとよくわかる。

個人の生活や仕事に関して、量も質も効率的に改善したところで、結局自分の世界から抜け出すことはできない。

合理性や生産性は上れど、新しい景色が見えるわけではない。

井の中を最速で走るだけ。

茹で上がる前に大海へ飛び出そう。

AI時代に、読解力、問い立てる力、考える力が必要になると言われているが、私はそれらをまとめて人間力と呼んでいる。

人間力は他者との関わりの中で磨き上げることができる。

生き抜くために必要な力は、独りじゃ身につけることはできない。

最適化は人間力の向上ではない。

AI時代に大切になっていくもの。

それはもしかすると、仲間かもしれない。

ここにきて、まさかの少年漫画のような展開に思わず笑ってしまうが、間違ってないと思う。

孤独の先には仲間が待っている。

ネットのコミュニケーションは眺めているだけで疲弊する。

川の流れはとても速い。

AIを壁打ち相手に選び、自己対話を進められたなら、気の合う仲間と外に出よう。

私たちの身体は、身体性のある相互コミュニケーションを求めている。

翼がないなら、跳ねて、傷ついて、身をもって学んでいこう。

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