応答セヨ

9月になると早いんだよな。

下半期の予定は9月から12月まであっという間に埋まっていく。

年末年始の予定、家族の予定、関わっている様々な地域活動の予定…

スライドパズルをカシャカシャといじるように、スケジュールをシミュレートする。最後のピースをはめ込むために全体のバランスを整えるとスケジュール帳は2027年を超えていた。

夢は目標に落とし込む。目標は予定に落とし込む。ありきたりな自己啓発っぽい考え方に従うならば、この予定を消化した先に成し得たい生活目標や、人生の夢が続いているのだろうか。んなわけない。

どうにも遊びが少ない気がする。とはいえ遊ぶように生きて、遊ぶように働いているつもりだ。仕事は楽しいし、プライベートも充実している。年相応にお金も時間も使えている感覚と、そこから得られる満足感はある。

となると、この遊び足りなさは私の内面の認識問題か。

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初めてリスナーからお便りが来た。

問われたのは、人と関わる仕事における「情報密度が低いことの価値」や、あえて「非効率のままでいいと考えること」は何か。

構えたキャッチャーミットを1ミリも動かすことなく、ボールがど真ん中に収まった。

発信媒体としてYouTubeやPodcastを選んだ。どんな戦略でやっていこうか、素人なりにアイデアがある。それは増やすことや稼ぐことを一番に置かず、どうしようもない同時代に閉じ込められた仲間たちへの交信の試み。

私のラジオをアルゴリズムにおすすめされたリスナー。おそらく期待したほどの情報密度ではなかったにもかかわらず、スキップやAIの要約によって情報の排水口へと流さなかったことがとても嬉しかった。そして、こちらがある程度デザインした意図に気がついてくれたようにも思えた。そのことが、喜びに輪を掛けた。

他人にも、社会にも、家族にも、自分にもガッカリすることだらけの生活の中に見つける希望の灯。資本の流れに逆らわず、アテンションエコノミーに呑まれず、その灯りのもとで踊りふざけていたい。

高い情報密度は咀嚼を必要とする。なので文字や本はゆっくりと自分のペースで噛み砕けるから良い。動画での情報摂取は、時間単位あたりの密度を上げるために倍速や誰かの切り抜きに頼らざるを得ない。消化スピードを上回る摂取スピードは、知的下痢を引き起こす。AIの要約は飲み込みやすい嚥下食になっているのだろうか。栄養は摂れても咀嚼する力は衰えていくかもしれないな。食事と同様に、目的と手段を改めて考えたい。汝は食べたものでできている。

冗長さは豊富さとも捉えられる。選択肢の豊かさは人生の道のりに遠回りの必要性を教えてくれる。人生に必要ないものが、人生には必要なのだ。

AIとの会話はやまびこのようだ。どこまで行っても自分の言葉のアナグラムで、反射する現象が面白いのは最初だけだった。

今、私にとってリスナーからのお便りは未確認生命体からの交信だ。

どちらが嬉しいかは、言うまでもない。

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「いつか、いつか」は、いつまでも来ない。

やりたいことがあるならば、身体が動くうちにやってみよう。感情や心が動くうちにやっておこう。ふと、そう思った。

羊文学やサカナクションのライブ予定を確認してスケジュールに書き込んだ。

なるべく生の声が聴きたい。

星野源の「SUN」を思い出した。

君の声を聞かせて
雲をよけ 世界照らすような
君の声を聞かせて
遠い所も 雨の中も すべては思い通り

星野源「SUN」(作詞:星野源)

そうだ。AIにコールアンドレスポンスはできない。

言葉を電波に乗せて待つ。
隙間を埋める心の応答。

これを遊びと言わず何と呼ぶのだろうか。

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